小川 宏

平成3年秋のこと。カゼだと思っていた具合の悪さが、いっこうによくならない、とにかくだるくて何をするのもおっくう…。そんな症状から始まった小川さんの「うつ病」は、翌年3月の“自殺未遂”にいたるまで、本人すら気が付かないまま進行していました。「とにかく、お風呂に入るのも疲れるのでいや、食欲もない。人に会うのもだるいので会合などもすべて欠席していました。あまりの体調不良に、友人の医師を訪ねたのですが、特に悪いところも見当たらず、今度神経科の先生を紹介しましょうと言われたまま、お互い忙しくて、のびのびになっていたんです。」

年が明けて1月の31日には、長年連れ添った奥さまに「遺書」を渡すという行動までとっていました。「それを受け取った女房が、二ヤっとわらって“これは認め印がないので認められませんね”なんてシャレを言いながら相手にしてくれませんでした。とにかく自分でもあのとき、それほど深刻な病気だと気がつかないくらいですから、彼女にしてみればそうするほかなかったんでしょうね。でも、さらりとながしてくれたのは、ありがたかったですよ。あれで騒がれていたら余計落ち込んでいたかも知れないし。でもそのタイミングはむつかしいですよね。やはり早めに病院へ行かせるようにするのがいいのかもしれませんし。」

そして3月16日の早朝4時ごろ目がさめた小川さんは、寝床でうつらうつらしながら、ふと理由もなく今日それを決行しようと思ってしまいました。「そーっと起きてひとりで、家を出ました。人は、いまはのきわには錯乱するだろうと思っていたけど、そのときの僕はとても冷静でした。そしていつの間にか、家から5~6分のところにある踏み切りの前に立っていて…。1時間くらい電車を見過ごして、いよいよ決行しようと思ったとき、ある言葉がよぎったんです。NHK時代によく仕事をご一緒させていただいた山谷親平さんの「自殺は愚かものの行為なり」という言葉でした。そして、女房や子供たちの顔が…。」思いとどまった彼の目の前を、猛スピードの電車がザ-っという凄い音をたてながら、通 り過ぎて行きました。

「その時は、“はァ~、よかった。死ななくてよかった”と本当に思いましたね。からだはタコみたいにヘロヘロになっていて、しばらく立ち上がれそうもありませんでした。家にやっとこさ辿り着いたら、門の前で女房が心配そうに立ってまして“どうしたの?”って聞くから、これこれしかじかと話したら、とにかく病院へ行こうということになりました。」
奥さまに手を引かれるように行った病院では「小川さん、即刻入院して下さい。病名はうつ病で、軽くはありません」ということで、その日から約3ヶ月の入院生活となった。

「僕はわりとストレスをためてない方だと思っていたので、うつ病にかかるはずがないと思っていたんです。でも、気が付かないうちにストレスがたまっていたんでしょうね。考えてみれば、信用していた身内に裏切られたりして、これには本当に参ってしまいました。身内で、信じていたものからの痛手でしたし、金銭的な問題がたちまち自分たちにのしかかってきましたしね。自分サイドの身内ということで、女房にも申し訳ない、すまないと言う気持ちにもなってしまい、ま、これが最大のストレスの原因だったんですね。」

入院して1ヶ月程したころに、NHK時代の親友が1通の手紙を送ってきてくれました。その時期はなんだか入院したときよりも悪くなった気がしていたころで、医者からは「これは治っていくうちの通 過点です」と言われていました。その手紙には“実は僕も10数年前に、重いうつ病にかかった。たぶん今の時期が一番つらいだろう。つらいだろうけどあと一息でそれが幸せに変わるから頑張れ”と書かれてあった。“辛い”という字に横“一”を足すと“幸”と言う字になるという意味だった。これには本当に励まされました。

「うつ病というのは、個人差はありますが治療すればかならず治るんですよ。ただ一番気をつけなければいけないのは、自分の勝手な判断で良くなったと思って薬をやめたりすること。そうすると再発するんです。前よりもよけい症状が重くなっちゃうんです。ぼくはそういう人をよく知ってます。退院して、もう治ったと思うらしいんだけど、あれは70%くらいの治り。後は、病院にきちっと通って完全に治すこと。焦らず気長につきあうことが大事ですよね。」

とにかくだるい、疲れる、食欲がない、そして眠れない。そんな症状が続いての結果だったうつ病。それからの9年余りのこの病気とのつき合い方や、その間の生活なども、小川さんは語ってくれた。

「この病気は健康な人から見れば、怠けているようにしか見えないというのが困りものですよね。僕の病気が始まったばかりのころは、女房も“どうしちゃったんだろう、この人は。今までの夫婦生活はなんだったんだろう、まるで別 人のようになってしまって”と悩んでいたようです。だから僕が落ち込むと“頑張ってね”とか、彼女なりに考えて励ましてくれてたんです。友人にも“どうしたんだ、このごろ元気ないけど。しっかりしろよ”とか言われると、好意はありがたいのに、後になってくると余計つらくなってくる。変な病気ですね。」いちばんいいのは「見てみぬ ふりをしてくれること」だと小川さんは言います。知らんぷりや無視ではなく、一応見ているけれど、かまわないでいてくれる…。「それがいちばんありがたいかもしれませんね。本人もつらいけど、まわりもつらいと思います。女房や周りの人たちも、最初は対応に困っていたみたいだけど病名がわかってからは、そうしてくれました。自律神経の失調で、やる気を起こさせる神経とリラックスさせる神経のバランスが崩れちゃうんですよね。崩れたところへ“頑張れ、頑張れ”と言われても、いうことをきかないんですよ。どうしようこうしようと思っても、自分の意志ではなんともならない。それは、足の骨が折れた人に歩けと言ってるようなものなんですよ(笑い)。基本的に無理なんですから。」

うつ病は、本人や周囲の人が頑張っても治るものではないということを、それぞれが自覚して、病院でしっかり治療を受けるべきだと、小川さんは言います。
「“うつ病かも…”と思ったら、迷わず恐れず、精神科、心療内科といった専門医に診てもらうこと。病院で診てもらい、治療を受け、薬を飲む。大切なのは、治そうと言う気持ちはもたないこと。この病気は気力で治るのではなく薬で治すんだからと割り切って、とにかくよく眠り、ゆっくり気長に付き合っていれば、必ず治ります。一般的に、薬にはできるだけ頼るなというのはありますが、この病気に関しては薬だと、僕は思っています。今は抗うつ剤にしても睡眠剤にしてもほとんど副作用のない、いい薬が開発されているので、薬の力を借りて良くなった方がいいんです。」

小川さん自身、抗うつ剤を7年間飲み続けた結果、効果を得て2年半前からは飲む必要がなくなるほどになりました。「睡眠薬の方は今も飲んでいます。よく眠ることも治療のひとつなので、そのために薬の力をお借りしてます(笑い)。」抗うつ剤を止めたきっかけは、そのころになると自分で“もう飲まなくてもいいな”と思えてきたから。勇気を出して先生に言ってみたところ「2~3ヶ月かけて少しずつ減らして行きましょう」ということになりました。
「どの先生も、なかなか“もういい”とは言い出してくれませんよね。だから気長に付き合っていくことです。私は、薬は“食後のデザート”と呼んで、おいしくいただいてます(笑い)。なんでもものは考えよう。薬を飲むと思うと気が重いけど、デザートをいただくと言えば楽しみのひとつになるから…」

最近は、無理せず前向きに楽しく生きるという小川さんだが、うつ病に対する偏見がまだまだあるという実体験から、より多くの人にうつ病を理解してもらい偏見をなくそうという講演や執筆活動もしている。
「新聞には、2回投稿をして2回とも採用されました。そのうちの1件の内容は、偏見によってお受けしていた司会を断られてしまったというものでした。とても残念な気持ちでしたが、まだまだこのような偏見があるんだと痛切に感じました。一般 社会の中でもこのような偏見が、かなりあるんです。普通の病気なら、医者に診断書を書いてもらってそれを提出すれば何ヶ月か休んでも、それは認められますよね。でもそれがうつ病となると、なんだか怠けているようにとられて、こんな時代ですからリストラの対象にされてしまうことだってあるんです。ですから病院の先生も気をつかってくれて、診断書にはうつ病と書かずに「自律神経失調症」と書いたりしますよね。これも、現実におこっていることを配慮した上での心配りなんだと思うんです。でもこれからは、こういうこと自体、なくしていけるようにしていきたいですよね」

うつ病になりやすいタイプは、律儀で仕事熱心。責任感が強くまじめな人が多いと言われています。だからといって、自分の性格を変えるわけにはいかないのも事実。「性格は変えられなくても生き方を変えることはできるんです。世間体などにとらわれる必要は毛頭ないのだから、自分の好きなことでストレスを発散すればいいんです。
ときに開き直ることも大切だしね。カラオケ、ゴルフ、散歩…どんなことでもいいんです。自分にとって気が休まったり、楽しいと思えることをしてみること。私の場合は充分睡眠をとることなので、昼寝をしたりしてリラックスする時間を大切にしています。この病気は長いつき合いの友と考えて、力まずのんびりおつき合いさせてもらいましょうよ(笑い)」