倉島 厚

1980-90年代、NHKニュース番組などで気象キャスターを務め、含蓄のある解説でお茶の間の人気をさらった倉嶋厚さん。97年に愛妻の泰子さんをがんで失って、重いうつ病にかかり、自殺未遂と長期入院。しかし見事に社会復帰、その後はエッセイストとして原稿執筆や講演に忙しい毎日を送られています。

うつ病からの回復の経緯は2002年、「やまない雨はない」という著書に。これまでに文庫版を含めて16万部余りを発行、うつ病を扱った本としては異例のベストセラーになりました。

屋上から飛び降りようとした東京・新宿の自宅と仕事場があるマンションで語ってくれました。「自殺者は年間3万人以上。未遂者を入れれば10倍の約30万人。その家族など関係者を含めるとさらに10倍の約300万人。10年続くと約3000万人という数字になります。事実、私の兄も自殺、同僚が3人自殺している。うつ病は自殺の主因といわれるが、国民の多くが身近にうつ病は自殺を経験している。だから私の赤裸々な告白が関心を呼んだのでしょう」

「うつ病になると、オール・オア・ナッシングの気分になり、離婚してしまえ、職場を辞めてしまえ、死んでしまえという衝動に駆られる。でもとりあえず1分、1時間、1日決断を先延ばしにしてほしい。大事なことは決定しないというのが私の教訓。妻の死がショックでうつ病になり、死んで楽になりたいと思った。マンションの屋上に10日間通い、ついに飛び降りたつもりが元の場所に着地。亡くなった妻が止めてくれたのかもしれない」

「それから11年。その後の人生を考えるとものすごく展開している。どんどん仕事をしてきたし、全国各地に出かけていろんな人々に出会えた。人生マイナスばかりではない。死んではいけない。西行の歌に『命なりけり』という言葉が出てくる。『命あればこそ』という意味。生きていて良かったと思います」

「うつ病になる人にはまじめで完全主義の人が多い。でも完全主義はやめた方がいい。何でも自分だけで抱え込まないで、肩の力を抜いてマイペースでやる。満点ではなく、毎日70点で落第しなければいい。NHKに出演し始めたころ悩んだが、こう考えて楽になりました」

「その後もNHKを辞めようと考えたことは何度もある。ある夜、NHKの廊下で俳優の故・大坂志郎さんとすれ違った。振り返ると、大坂さんも振り返って声を掛けてくれた。『いつも楽しく拝見しています。役者だから分かりますが、短い時間にあれだけなさるのは大変な苦労や工夫があるのでしょう。これからもいい仕事を続けて下さい』と。私には大きな励ましになりました」

「道元の教えに『愛語能く廻大の力あることを学すべきなり』という言葉がある。人に慈愛の心で接し、(思いやりである)顧愛の言葉を掛けるていると怨敵さえ降伏するということ。大坂さんは私に愛語を掛けてくれた。愛語に満ちた職場、地域、国をつくれればいいですね」

「苦しいときはSOSを周囲にを出すことも必要。妻が亡くなって間もなく、早朝、資源ごみを出しに行って顔見知りの女性に出会った。目が合うと私は近寄って『妻が死にました。困っているので誰か家事をしてくれる人はいないでしょうか』と話した」

 その女性の紹介で、現在も身の回りの世話を受けている水口きよみさんが来た。長期入院した時も倉嶋さんを終始面倒見てくれたお手伝いさんだ。「あの時、ごみ出しに行っていなければ、今の私はない。周囲の人もSOSに応えて具体的に助けてあげることが必要です」