音無 美紀子

38歳のとき乳がんを患い、乳房を失った音無さん。
乳がんという壁を全速力で突っ走り、もとの生活に戻って来たのは良かったのですが、そこには自分が想像していたのとはまったく違う現実が待っていました。

左胸を手術したので子供を抱けないし、子供をお風呂に入れられない、その上、ちょっとした重みのあるものでも傷口が痛むから左手を自由に扱えなくて、自分の髪にドライヤーを当てるといった簡単なことも思うようにできない状態でした。

あるドラマの撮影のために衣装合わせに行ったとき、用意されていた衣装に音無さんは凍りつきました。
胸元が大きく開いた、ノースリーブのシャツ。
いろんな言い訳をつけ、監督に衣装の変更を交渉していました。
こころも体も限界のところまできていました。撮影を明日に控えた最後の読み合わせで、まったく声が出なくなってしまったのです。
翌日から始まる撮影を土壇場でキャンセルしてしまいました。
この日を境に、音無さんは本格的なうつ状態に入っていきました。

冷蔵庫を開けても、何の食材を取っていいか分からず、ただ数分ボーッと中を見ているだけでした。
当時、小学生だった娘にお弁当を持たせていたのですが、うつ状態がひどくなったころから作れなくなりました。正確には何を作っていいか分からないのです。スーパーに食材を買いに行っても、お野菜のコーナー、お魚、お肉と店内を一周しても何を買うかを決めることができずに、何も買い物かごに入れることができない。

「もう、死のう」そんな風に考えたことは何度もありました。「私なんか、いなくなればいい」こころの底からそう思うこともよくありました。
ご主人は音無さんがそこまで追いつめられていることを、分かってくれていたのでしょう。
ある晩、布団に入った私の手をそっと握り、「この子たちの5年後を一緒に見たいと思わないか。こんなヨチヨチ歩きの子が、ランドセルしょって学校に通う姿を見届けたくないか。僕は君と一緒にこの子たちの成長を見たい。何もしなくていいから、ただ僕のそばにいて、一緒に見守ってほしい」と話してくれたそうです。

音無さんはこのご主人の言葉をきっかけに、家族のため、自分のために「生きよう」と思うようになりました。
家族の思いやりが、すべてのことに後ろ向きだった音無さんのこころに勇気をくれました。
約1年ぶりにこころの底から笑ったのは、ほんとうに些細なことでした。
娘さんと一緒に目玉焼きを作ったときのことです。フライパンの真ん中にきれいに落ちたまんまるの卵を見ると、本当にうれしくて、うれしくて、「うわぁ~、できたね!」って子供よりも大はしゃぎされました。
目玉焼きのような小さなチャレンジでしたが、病気を治すためにはまず、一歩を自分で踏み出すことが大切だと強く感じられました。
今は、肩の力を抜いて、毎日を楽しんでいらっしゃいます。やっぱり、「生きていてよかったな~」ってこころからそう思われるそうです。