天に召されるということ

   

人は生まれた瞬間から終焉に向けての時計が回り始める。
終焉の時期はあらかじめ約束されたものかもしれない。
いや、違うかもしれない。終焉の時期があらかじめ分か
っていたらどんな気持ちだろう。

今、日本人の平均寿命は80歳近くであるが、100歳
を超える人もいるし、若くして亡くなる人もいる。
人が生を受けて一定期間で昇天するということは、どう
いうことなんだろう。生きている間に喜び、悲しみ、怒
り、さみしさ、を感じ、人を愛し、人に愛され、そして
なくなっていく。

命に限りがあるから人はその短い期間に一生懸命生きよ
うとするのだろう。不老長寿でいつまでも生き続けられ
るのであれば、懸命に生きようとはしないだろう。

命に限りがあることは、生きていく意味を深く考えさせ
られることである。良く生きることはよい終焉を迎える
ことにつながるのだろう。

先日、小林麻央さんが亡くなった。彼女の生き方は素晴
らしかった。多くの人に共感を得、多くの人に元気を与
え、多くの人に愛された。彼女は亡くなったけれど、彼
女は多くの人の中に生き続けているだろう。よりよく生
きることはまさしくよりよく終焉を迎えることである。
彼女はそれを実践されたのであろうと思う。

私は自身が終焉を迎えることは恐れてもいない。子供の
頃は終焉を迎えることは考えることもできなかったが、
年を経るにつれて思うようになった。いつ終焉を迎えて
もいいように毎日を充実して懸命に生きることが大事な
ことなんだと思う。

笑っても一生、泣いても一生、どちらを選ぶかは人の好
みであろうが、良い終焉を迎えるためにはよりよく生き
ていきたいと思う。

命に限りがあることで、人、いやすべての生きとし生け
るものは輝きを放つことができる。命に限りがあること
で生を愛おしく感じられるのであろう。命に限りがある
ことで生の尊厳が語られるのだろう。

昔、お寺に説教を聴きに行ったことがあった。その時、
そのお寺さんはこのようなことを言われた。
じいちゃん、ばあちゃん亡くなり、とうちゃん、母ちゃ
んなくなり、そして・・・、年取ったものから終焉を迎
えるのは自然の事である。もし、子供が先に無くなった
ら悲劇であろう。

私は懸命に生きていこうと思う。もし明日終焉を迎えても
いいように出来ることを懸命にやる。よりよい最後を迎え
ることはよりよく生き続けることに他ならない。大宇宙の
中では人の一生など一瞬の出来事であろう。宇宙誕生50
年、その一瞬の中に生きている有難さを感じる。

 - うつ病闘病日記