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2017.4.1.(土) うつ病闘病記サイトの立ち上げについて

2008年5月、私は突然うつ病を発症しました。9年前のことです。

私はその時接客中でしたが、あることをきっかけにそのお客が切れて暴言を吐いたのです。2週間前にも話をしたことがあり、その時は相手の態度は普通だったので、今回切れたのには突然のことで身構える準備ができていませんでした。相手のイラついた一言でビクッとしてその言葉が私の胸に突き刺さり、脳の神経がプチッと切れたようでした。その時を境にはっきりと心の違和感を感じました。これがうつ病に陥ったそもそもの始まりでした。

その時はもちろん、これほど長い期間にわたってうつ病という奇妙な病に悩ませるとは思ってもいませんでした。心の違和感を感じてから半年後に休職するまでの経過は「闘病日記」と「うつ症状の経過」に詳しく掲載しています。私の主な症状は、憂うつ感、興味の喪失、胸のあたりのモヤモヤ・ソワソワ感・・・などいろいろありました。

以後、1年半の休職、6年間の復職、そして現在、昨年5月から休職しています。
病院も3か所変わり、主治医も3人変わり、ひたすらうつ症状を我慢に我慢を続けてきましたが、ようやくここ半年程前から初めて体調が回復してきました。まだ完治ではありませんが。回復のきっかけは定かではありませんが、1年程前から抗うつ薬などの減薬をしたことで薬の何らかの悪さが減ったであろう事、去年の9月に今のN病院に転院し相性の良いI主治医と出会ったことで何とも言えない安心感を得ることが出来た事、そして特に8年という時間の経過が大きかったのではないかと思います。

今ではうつ病になっても大丈夫ではないだろうかと思えるようになってきました。私のように長年苦しむことはありますが、時間の経過と伴に脳細胞は確実に修復してくれているようです。最近の研究では、うつ病は脳の中の神経伝達物質の分泌異常であるとの考え方で一致していますが、人には誰でも自然治癒力があります。最後は自然治癒力も働いて必ず回復すると信じられるようになりました。

ただ、2015年10月にジストニア(痙性斜頸)という薬害を発症したのには正直参りました。ジストニアは国の難病指定はされていませんが、治すのはなかなか根気のいる病気です。ジストニアの友の会のようなところの管理人さんからは、焦らず、諦めず、3年程かけてじっくりと治していきましょうと励まされています。焦らず諦めずじっくりと治療に取り組まなければなりません。とにかく薬の重大な副作用をなんら説明もせず、薬害を起こすような薬を処方した医師を恨みました。2週間に1度の精神科の受診、3か月に1度のジストニア神経内科でのボトックス注射を続けていますが、今では如何に病気と上手に付き合って、一度だけの人生を楽しく生きていくことができるかが大事なところだと思います。

 サイトの立ち上げ

うつ病関連の情報は山のように出てきます。またうつを治す書物も多く並んでいますし、うつ病克服の体験談もたくさんあります。多くの人がこの病気で悩んでいるようです。ただ私のように長い病歴の人のサイトは余り見当たらないようです。皆さん割と早く良くなっているような感じです。もしかしたら長く深刻なうつ病の人はサイトを立ち上げる気力もないのかなあ。きっとそうだ。では私がサイトを立ち上げてみようか。

ということで今回、うつ病闘病記サイトを立ち上げました。同じ病気の方々と情報を交換したり、交流の場として掲示板も運営することとしました。辛いのは自分だけじゃない、同じような病気で悩んでいる人は広い日本ではきっとたくさんいるはずだと思います。

そういう人の参考になり悩みを共有し、一人でも多くの方々が完治に向けて歩まれることができればという思いがあります。
これまで私もうつ病やジストニアなどではネットサイトでどれほど多くの支えを受けてきたことでしょう。こうした支えがなければじっと耐えることはできませんでした。このあたりで今度は私が誰かの僅かばかりの支えになることはできないかなあ。

自己紹介

少し自己紹介しますと、私はごく平凡な50代の平社員であります。性格はいたって物静かで、温和だと思いますが、うつになってから少しイライラすることもあるのかなあという感じです。周囲の人に言わせると几帳面に見えるらしいです。でも几帳面というのは例えば、事前準備をしっかりやるとか整理整頓が得意とか、他人を見る目が厳しいとかいう人をイメージしますが、私は確かに目に見える範囲での最小限の整理整頓はするほうだとは思いますが、それ以上はできません。最近は目につくところの整理整頓もしたほうがいいんだけど手つかず、といった状態も日常化しています。事前準備はダメです。小学生の頃から前の日から準備してなくて、当日忘れ物を休み時間に自宅に取りに行くことが日常茶飯事でした。そして忘れ物の名人でした。ほとんだ毎日何かを忘れていました。他人を見る目が厳しいというのは全く当てはまりません。他人のほうが優秀に見えることもあるので、他人を厳しい目で見ることは無理です。その意味では他人も肯定する人です。というわけでかなりいい加減なところがあります。だからなぜ几帳面に見えるのか不思議です。

人と争うことは嫌いなので、何とか丸く収まる方法はないかと考えています。若いころから他人の目を気にすることは全くありませんでした。ただ年を経るとともに人間関係に少し敏感になってきたようで、自分が周囲からどういう風に見られているのかななどとたまに思うこともありますが。職場では自分の仕事であれば、頼まれた仕事を断ったという記憶はありません。でもそれがストレスになったこともありません。

よく「うつ病になりやすい性格」というのが書かれている書物やサイトがあります。それによれば多くは次のようなことが書かれています。うつになる人は、いやなこと、よくないことばかりに目が行き、うれしいこと、楽しいことに目がいかなくなっていく傾向がある。うつになる人は、自分を責める傾向がある。例えば何か失敗したとしたら、自分がダメだから失敗した、失敗したのは自分のせいだと自分を責めてしまう。こうした自責の念は自分をダメな人間と見なし、生きているのに値しないなど自己否定をする。自己否定からは頑張ろうという意欲は湧いてこない。うつになる要因のひとつは「がんばり過ぎ」にある、がんばらないといけないという気持ちが強迫観念のようになっているので苦しくてもがんばってしまう、そのうちに心が苦しくなってうつ状態になってしまう。目標を失うとうつになる。目標がしっかり定まっているときはうつにならない。仕事にやりがいやゲーム性を見つけて楽しんでいる人はうつにならない、またプライベートに生きがいを見つけて楽しんでいる人もうつになりにくい。だいたいそういうようなことが書かれています。

しかし私はそこに書かれた「うつ病になりやすい性格」とは全く逆の性格でした。そもそもいやなことはあまりありませんでした。楽しいことが身の回りにたくさん溢れる程ありました。仕事も趣味も楽しんでいました。そして私は子供の頃からずっと自己肯定で育ってきましたし生きてきました。これは両親の育て方が影響しているのだと思います。両親は私を無条件で受け入れてくれました。例えばテストでいい点を取っても悪い点を取ってもそれは変わりませんでした。私の得意な面も不得意な面も、また良い面も悪い面も全部そのまま受け入れてくれました。だから人の目を気にすることなく、自分の存在意義を当然のように肯定していました。失敗しても次があるさ、やり方を変えてみようかとか思っていましたし、深く考え込むこと自体がありませんでした。自己否定など考えたこともありません。実は自己肯定という考えはうつになってからも変わっていません。確かにうつになって今までのように仕事が出来なくなりましたが、それは病気のためであり、決して自分をダメな人間と見なすことはありません。病気が治ればまた以前と同じようにバリバリ仕事ができ、楽しく毎日を過ごすことができるはずだと思っています。がんばりすぎで心が苦しくなるというのも当てはまりません。精一杯自分の能力を発揮したときに得られる幸福感は何事にも代えられません。そもそも仕事が好きだったので、好きな仕事をがんばるなという方が無理があります。目標のあるなしも私には関係ないように思います。実際、きわめて目標がはっきりしているときにうつになりました。そして私は仕事にやりがいがありましたし、プライベートでも思いっきり楽しんでいました。

私は世間で言われるうつになりやすい性格ではありませんでした。何を言いたいかというと、うつになりやすい性格・考え方を唱えるのは、うつが気の持ちようで生ずる、と言っているのと同じだということです。うつ病患者の中には気の持ちようで発病した人もいるとは思います。しかし大部分の人は気の持ちようという単純な理由でうつを発症しているのではないと思っています。うつに至った経過は人それぞれ複雑でよく分からないという人が多いのではないでしょうか。うつの人を性格や考え方で一括りにするのは間違っていると思います。このような間違った認識がうつを患う人の社会参加を拒んでいるという面も問題があります。

仕事と趣味

昇進とは全く無縁で部下を持つこともなく、自分が率先して前に出て仕事をしてきました。まあー部下を持つ能力がないということが1番の理由ではありますが。もちろん優秀な社員でもなく、といってまったく役に立たない社員でもなかったつもりです。自分のささやかな能力を総動員し頑張ってきました。仕事はストレスではなくある意味たくさんの趣味とともに生きがいでもありました。だから仕事が苦痛であることはありませんでした。
時には皆で冗談を言い合いながら、時には失敗した人やお客とのトラブルで落ち込んだ人を慰めたり励ましたり、その時々の職場で職務を楽しんできました。

趣味もたくさんありました。パラグライダーや日曜大工、ピアノの練習や数学の勉強あるいは園芸など数知れません。特に社会人になってから趣味が増えたように思います。これは趣味にあてる費用を自分で稼げるようになったことと、自由な時間が増えた事も理由でありますから、当然とも言えます。土・日・祝日は本当に24時間ではとても足りない程活発に動き回っていました。1日が48時間あれば本当にいいのにと思っていました。何でもやりたかったので、資格取得のため会社が費用の半分を負担する制度を利用して、ある資格取得を目指しテキストを購入したことがありました。この制度により資格を取得した人は毎年会社が一覧で発表していました。その頃は夜は数学の勉強と資格取得の勉強を交互にやっていました。
そんなこんなで、予定ではこのまま十数年を経過し、晴れて退職日を迎え、その後は趣味三昧の生活を満喫するんだろうなと当たり前のように考えていました。でもうつ病の発症で大きく計画が狂ってしまいました。

私の症状

私の症状は「日記」と「うつ症状の経過」に詳しく記していますが、ここで少しお話したいと思います。振り返ってみれば、私のうつ病は最重度ではなかったかと思います。特に最初の4か月ぐらいは入院していてもおかしくなかったのではないかと感じています。憂うつ感や意欲の喪失あるいは絶望感などはうつ病では当たり前ですが、私の場合はそれに加え猛烈なモヤモヤ感・ソワソワ感がありました。パソコンでうつ病関係のサイトを見てもこのような奇妙な症状は見当たりません。立っていることもできず、座っていることもできず、横になることもできず、猛烈なモヤモヤ感・ソワソワ感をなんとかやり過ごそうと、何時間も部屋の中をぐるぐる回ったり、家の周りを当てもなく歩いていました。昼はもちろんのこと、夜10時や11時頃に外に出て苦しさを紛らすためただただ歩き回っていました。それでもひと時も落ち着くことができず、どうしようもなく、部屋の片隅で泣いていました。泣いてもどうしようもないのに泣くしかありませんでした。よく自宅にいることができたなと思います。その時に通院していた病院に入院施設があれば入院していたでしょう。入院施設がなかったので自宅にいただけです。
その当時、主治医に入院したい旨のことを泣きついて言ったのですが、主治医は入院しても何も変わらないよ、精神科の病室というのは思っている以上に特殊なものだよ、というだけでした。この状態が4か月ほど続きました。その後は少し軽くはなりましたが、我慢に我慢を重ねれば何とかなるという酷い状況でした。そういう状況で復職し6年間耐えました。
2012年から2014年あたりまで職場で多い時期には4リットルのお茶を飲んでいました。無くなると水も飲んでいたので実際は5リットル以上の水分をとっていたことになります。自宅にいる時もお茶をがぶがぶ飲んでいましたので、1日に6リットル以上の水分をとっていたでしょう。これもやはり強烈なモヤモヤ感・ソワソワ感のためでした。飲んでいる瞬間だけモヤモヤ感・ソワソワ感が少し収まるような感じがしたのです。これだけ大量の水分をとっていたので、常時、吐きそうにな状況になっていました。パソコンサイトを見ると水中毒の文字を見つけました。水中毒は一度に大量の水分を摂取することで生じる病気で、最悪の場合、死に至ると書いてありました。体重50キログラムの人の1日の適正水分摂取量は1650ミリリットルとありました。私ははるかに多く4倍以上の水分を飲んでいたことになります。主治医や産業医は私のこの状況をどんなに説明しても理解してもらえませんでした。気持ちの持ちようではないですか、多量の水分をとるのはいけませんよ、と言われるだけでした。医師は私のような症例に出会わなかったのだと思います。私は死の一歩手前まで行っていたのです。

うつの原因 心の交通事故

私がどうしてこのような状況に陥ってしまったのでしょうか。私は私のうつ病発症の原因を「心の交通事故」と呼んでいます。心つまりは脳の交通事故ということです。
これには少し説明がいるでしょう。これまで暴言を吐かれたことは少なからずありましたし、脅しのような言葉を浴びたこともありました。確かに苦しい経験もたくさんしてきたし、もうダメなのではないかという気持ちを抱いたこともありました。

うつ病という名前は知っていましたし、うつ病の知人も知っていました。しかし私には全く他人事の話でしかありませんでした。この私がなぜ心に特異な違和感を感じてしまったのか。いろいろな悪条件が運悪く偶然にも重なった結果であるとしか考えようがありません。それ以上は分かりません。私はこれを心の交通事故であると思っています。つまりその時、相手と話していた事柄、相手が話した言葉、私が発した言葉、相手が反応するまでの一瞬の時間、そして相手がはなった一言・ワンフレーズとその言い方、それを突然受け止めなければならなかった私の気持ち、そしてビクッとした瞬間・・・これらの一連の出来事が違和感につながったのだと思います。心、つまり脳が受けた一瞬のとてつもないストレス、これが心、つまり脳が受けた交通事故なのです。「心の交通事故」という概念は、今まで見たことも聞いたこともなく、私が考え出した言葉です。性格や考え方は全く関係なく、誰もがいつ発症してもおかしくない、という意味です。

その瞬間心の歯車がかみ合わなくなりました。胸の中の違和感はその後半年をかけてどうしようもないくらい大きくなってしまいました。

以後大きな荷物を抱えなければならなくなりました。これまで経験したことがない大きく重い荷物は心にどっかりとフタをしてしまいました。

9年という期間を振り返ると、酷い落ち込みそしてじっとしていられない程の猛烈な胸のソワソワ感・モヤモヤ感が1年半程で軽くなったことを除けば、休職中も復職中も重いうつ症状は変わることなく、ずっと私を苦しめてきました。9年という歳月はとても長い期間でした。

病院も2回転院しています。もっと早く自分に合った先生に巡り合っていたら病気の経過も変わっていただろうと思います。今となって思えば、超低空飛行を8年間も続けていながら、何とか仕事を続けられていたので主治医に転院を言い出す機会を逃していました。いや転院を言い出す気力もなかったというのが本当のところでしょうか。

短期間で治る人もいれば10年経って治る人もいます。休養で症状が軽くなる人もいれば休養しても辛い症状が変わらない人もいます。それに抗うつ薬の効果を感じない人も意外と多いようです。うつ病の本なんかを見ると5割から7割の人に効果があると書いてあります。私はほとんど効果があった試しがなく、抗うつ薬の副作用にどれ程苦しめられたことでしょうか。

医療の現状

何事も原因があって結果が生じます。結果があるのに原因がないことはありません。病気でも同じことだと思います。病気の症状が結果であるとすれば、原因が分からなければ治療のしようがありません。例えば、ウイルス性風邪の場合は体へのウイルスの侵入という原因があって熱が出ます。解熱薬で熱を下げるだけでは治療にはなりません。ウイルスを退治しなければ解決しません。がんも同じだと思います。そもそもどこで発生したがんなのか分からなければ治療方針は立たないでしょう。がんの種類によって治療方法が違うからです。
このように病気は原因が分からなければ治療も難しいと思います。もちろん原因が分からない病気はたくさんあります。本能性高血圧とか自己免疫疾患とか突発性〇〇などという病名は原因不明を体裁よく言い換えているだけです。このような原因不明の病気は根本的な治療ができず、症状を単に一時的に抑えるだけの対症療法しかできないのが現状です。
では精神科の医療の現場はどうでしょうか。驚くことに精神科の医療では原因は重要視されません。原因が分からなくても治療法が示されているのです。国際的な症状の基準に基づき患者の症状がどれに当てはまるかを判断し、病名を付け処方薬を出します。脳内神経伝達物質であるセロトニンやノルアドレナリンなどの減少がうつ病の原因であるという説も推測の域を出ません。セロトニンやノルアドレナリンなどの神経伝達物質の量は測ることができないためです。そしてなぜこのような神経伝達物質の減少が起こるかについてもいろいろなストレスが関わっていると言われていますが、これも推測の域を出ません。精神科医師は患者の症状を聞き、病名を付け、処方薬を出します。精神疾患になった原因は聞かないのです。原因も把握せず、症状だけ聞いて処方薬を出しても治るわけがありません。つまり処方薬は単に一時的に症状を抑えるだけの対症療法に過ぎないのです。これでは根本的に治るわけがありません。一時的にせよ薬が全く効かない人にも薬が処方されています。次々と処方薬を変えていったり追加したりします。さらに困ったことに、他の原因不明の病気は原因を突き止めようとする研究が常に行われていますが、精神科の医療ではそうした研究はなされていません。原因を突き止める可能性がある方法が見当たらないからでしょう。またさらに困ったことには精神科医師は薬が大好き、と言われています。投薬する以外に治療と称する手段を精神科医師は持っていないからです。1日に何と50錠の薬を服用している人もいると聞きます。いわゆる薬漬けが日常化しているのが精神科の医療の現状と言えるでしょう。それなのに薬が治療の一番の柱という認識が一向に改められることなく世間に通用していることは残念でなりません。
うつ病の人が増加し続け、なかなか治らないというのは当たり前のように思います。それどころか薬による副作用でさらに精神症状が悪化するケースが増え続けているようです。実は薬は本当はあまりうつには効かないという認識が少しでも社会に出てくると、困る人たちが出てくるのでしょう。そうです、製薬会社です。製薬会社と医師が薬至上主義を社会に植え付けていると見るのはうがった見方でしょうか。
ようやく最近では精神療法や鍼灸あるいは食事療法など、今まで薬一辺倒であった治療に風穴を開けようと試みる人も出てきています。本屋ではいろいろな治療法を紹介した書物が少しづつ増えているようです。「うつヌケ」や「自分のうつを治した精神科医の方法」などです。そういう人が早くたくさん出てきて、着実に成果を積み上げることにより、薬に頼らない治療法が一日も早く確立されること強く望んでいます。

うつを取り巻く現状

うつ病の辛さはうつ病にかかった人でないとほんとうのところは分からないのではという気もします。どんなに説明してもその核心は理解してもらえないことも多いようです。うつの症状・辛さを健康な人に正確に伝えるのはほとんど不可能だと思います。
うつ病の患者同士でも 症状の違い、置かれた状況の違いなどで理解し合えないこともあるだろうと思います。つまりは最後はやはり自分で道を開いて行くしかないのではないでしょうか。病院の先生もアドバイスはできても治すことはできないのではないでしょうか。良い医者なら患者に寄り添い、その悩みを聴いて、同じ方向を向いて歩いていくことはできるでしょう。でもその先は自分の足で一歩一歩進んでいかなければならないような気がします。

うつは間違えなく猛烈な勢いで増えています。私の会社でも精神的疾患で休職を余儀なくさせられるケースが確実に増えているという印象を受けます。私が休職していた時期と前後して、同じ職場の人が2人休職していたのには驚きました。うつ病なのに仕方なく仕事を懸命にしている人もいます。あの人がなぜうつ病にという人も何人もいます。休職すれば早く治る可能性があるのに、経済的理由や会社の制度不備などで休職出来ない人がいるのは本当にかわいそうです。一人ひとりの仕事量・仕事の質が大きく変化しているのでしょうか。ギスギスした人間関係の増加も原因なのでしょうか。何か訳が分からないうちに、世の中がうつの時代に突入してしまいました。

ただ、うつ病の人が増えるにつれてそれに対処する制度も年々整備されてきました。私がうつ病になった頃はほとんどうつ病に関係する制度はありませんでしたので、休職からいきなり復職して働きだすのが普通でした。今は復職の方法などについて段階的に負荷を与えていって最終的に職場復帰させるようなことなど会社によってはかなり細かい規定があります。

うつ病という奇妙な病気が、少なくとも決してその人の気の持ちようではなくて、推測の域は出ませんが、脳細胞の中にある微妙な神経伝達物質の分泌異常であることが広く社会に認識されてきています。うつ病に対する支援も増えているようです。

しかしこうした制度が実際うつ病患者の社会復帰を促しているかどうかは微妙です。逆に元の会社へ戻れなくなったというケースも増えたのではないでしょうか。精神疾患で休める期日が短くなったためやむなく退職せざるを得ない人も多いようです。会社にとってはうつ病の経過が比較的長期におよぶため、会社のマイナス材料になっていることは想像できますしやむを得ないのかなという気もしますが、よりうつ病患者が復帰しやすい制度へ変えていくこともできるのではないかと思います。
例えば、現在ほとんどの会社はどういう訳か復職するときの職場は休職した時の職場に限定しているようです。するとまた同じ環境で仕事をせざるを得なくなり、同じようなストレスでうつが再発することが多いのです。再発を予防するため、精神療法などにより心を強くすることも人によっては行われているようですが、精神療法でもなかなか改善しない人が多いのも現実でしょう。したがって復職についてはがんじがらめの制度にならないように、違った職場に復職できるような柔軟な制度を作れば、救われる人も多くなってくるのではないでしょうか。なぜ違った職場への復職がほとんどの会社で認められないのかうつの人からすれば大いに疑問でしょう。そこにはうつの人はいらないという事業所の本音が隠されているような気がしてなりません。一見うつの人を支援するような制度であっても、よく考えるとうつに厳しい社会にだんんだんとなっている感じがします。しかし、うつは誰もがいつなってもおかしくない病です。うつの人に辞めてもらうように心を鬼にして肩たたきした人が、その仕事の嫌さにうつを発症することだってあるのです。うつの人が社会復帰できるような本当の意味での正しい制度が一日も早く社会に普及することを願ってやみません。

最後に

私は2回目の復職については辛い中でも幸いにも課長や係長の暖かい理解を得ることができました。
そして今、8年以上の時を経てうつ症状自体が随分なくなってきました。完治ではありませんが、ようやく灯りが見えてきたという段階です。
3回目の復職を見据え、自分の生きてきた足跡を改めて見直そうという気持ちでいます。心に少し余裕が出てきたのだと思います。このうつ病闘病記では、過去9年間の自分を、そしてこれからの自分を正直にありのままに出していきたいと思います。過去を思い出しながら、未来に向かってしっかりと歩いていけるようそんな記録を綴っていきたいと思います。
この闘病記が現在うつで辛い思いをされている方々の回復に向けて何かしらのヒントになればこれほどうれしいことはありません。

長々と書き連ねました。最後までお読みいただきありがとうございました。